YUKOのブログ

日々思っていること、つれづれ

部屋が汚ないメリットとは?

部屋が汚ない。

 

住んでる部屋が汚ない。

 

 

部屋が汚ないメリット

・人を呼べない

・緊張感のない身体でよい

 

 

およそ4年前に引っ越して来たときはこんな風じゃなかった。

 

この物件に決めた理由は、

駅近(赤羽駅から徒歩4分)

家賃(7万円)

2DK、私ともうすぐ小学生になる息子にともうすぐ4年生になる娘なら十分。

 

築40年くらいだけど、大学生の頃住んでたアパートもこんな感じだったし、和室2間、バランス釜のお風呂、いかにも母子家庭な感じでいいんじゃないか?

と、思っていた。

 

外観は倉庫みたい。確かに1階は大屋さんの車庫兼倉庫、私たちが2階、3階には大屋さんの息子夫婦が住んでいるという、ちょっと変わったところ。

 

こんな倉庫みたいな所に住んでるって知られるのが恥ずかしくて人を呼べない。

こどもたちも、そう。

友達は絶対に呼べないと言う。

 

離婚して、こどもたちから彼氏禁止令がでた。

そりゃ、こんな場所には呼べない。

 

 

どんどん部屋が汚くなった。

 

だからだ、と気づいた。

 

人に知られたくない→人を呼びたくない→その上部屋が汚くなる→ますます人を呼べないように汚くなる→私たち3人以外には絶対に見せたくない、知られたくない部屋になった。

 

ワタシは体重が落ちなくなった。

40過ぎたからだろうと思っていた。

彼氏禁止令のせいかも?

誰の前でも裸になることがない→太る→彼氏禁止令だからそのままでいい→体重落ちない→こんな身体は見せられない→体重落ちない→体重落ちない

 

この3キロの脂肪は、不要なモノ。

家のなかの不要なモノと同じ。

 

 

 

 

「神様が宿る家の清め方」

大瀧冬佳さんお薦めの本を購入した。

 

毎日少しずつ、

不要なモノを捨てている。

読んでるだけで清々しい。

頷きながら読んでいる。

 

ホコリじゃ死なないと思っていたけれど、ホコリと一緒にいろんなものを溜め込んで溜め込んで溜め込んでいたんだ。

 

部分的にキレイにスッキリしている場所をみて、清々しい気持ちになる。

もっとキレイにしたくなる。

清めたくなる。

家も、自分も。

 

不要なモノを全部捨てたら、いい物件に引っ越せる。

理想的な、私たちに相応しいところへ引っ越している。

 

いつでも、好きな人たちを呼べる家に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備忘録

不要なモノを全部捨てたら、私の脂肪も捨てることができる。できている。女性と美の応援団長であるトイレの厠神。タブーは「裸で入らない」「便器に唾を吐かない」が代表的だそう。息子が両方やっていた。

 

 

 

 

 

娘と向き合うこと

休日の朝

娘(中1)とケンカした。

 

発端は、朝起こすとか起こさないとか。

 

前日に朝は9時に起こしてと言われた。

 

9時に起こす→起きない→10分後に起こす→起きない→「10時に起こす?」「うん」→10時に起こす→起きない→「お母さんが出る頃に起こすよ」「うん」→11時に起こす「11時だよ」→娘、無言で起きて怒ってトイレへ。

 

その後ろ姿を見てから

「もーーやだ!!何度も何度も起こしても起きなかったし、お母さんが出る頃までほっといていいって言ってたじゃん。それで逆ギレってなに??なんなの?ほんっっと、やだ!」と、独り言のようだったけど、大きな声で言ったワタシ。

 

トイレの方で大きな物音。

 

顔を洗って

 

二間しかない部屋で襖を閉めて閉じ籠ろうとする娘。

 

襖を力づくでこじ開けた。

 

「開けないでよ。なに?あっちいってよ!!」

 

「9時から何度も起こしたよ、何回起こしたかわかんないぐらい、お母さんが出る頃までほっといていいって、言ってたよ、覚えてないの?なんで、お母さんがなんでそんなに怒られなきゃいけないの?なに?何が気に入らないの?」

 

「あっちいってよ!!」

 

「なんでそんなに怒ってんの??なんで?」

 

何も言わずに、睨むだけの娘。

 

怒ると娘はいつも睨むだけで、コトバを発しなくなる。

 

「何にも言いたくない、絶対に言うもんかと思ってるの?いつもそうだよね、自分の気持ちを絶対言わないよね、ヒントも教えてくれないよね、お母さんがひとりで考えろって言われてる気がする、いつも、いつも。いつも、いつも。その答えにたどり着けないかもしれないけど、考え続けるよ、考えるのをやめたら終わりだと思うから。でも、こんなの理不尽すぎる。」

 

言いながら泣けてきた。

 

娘も無言で泣いてる。

 

娘がいる部屋の奥にベランダがあり、洗濯物が干されてる。外は雨が降りだした。

 

泣きながら襖を閉めようとする娘。

 

「待ってよ、洗濯物取り込みたい」

(こんな状況で洗濯物?と、心のなかでツッコミいれつつ)

 

「こんな時に洗濯物??どうでもいいよ、そんなの、そんなのどうでもいい!!」

 

「でも、○○が洗濯した訳じゃないでしょ、お母さんが洗濯物干したんだよ。雨降ってるし、取り込みたい」

 

洗濯物を取り込む。ワタシ。

 

襖を閉めて、家を出た。

 

 

 

 

最近いつも思う。

 

こんなワガママばっかり言ってもいいの?

こんな娘でもいいの?

理想的な娘じゃなくてもいいの?

生意気なこと言ってもいいの?

「チャレンジ」やらないでためててもいいの?

定期テスト勉強しなくても、点数が40点でも?

スマホばっかりみてて全然勉強しない娘でも?

これでも?これでも?

 

と、試されている気がする。

あなたの理想の娘じゃなくても愛せるのか?と、試されている気がする。

 

もしかして、お互いが不安なのか?

もしかして、お互いがお互いに試しているのか?

 

理想の娘じゃなくてもいい?

理想の母じゃなくてもいい?

 

理解のある母親じゃないと信頼してくれないかも?

 

どんな娘でも、どんな時でも味方でいる、当たり前だと胸を張って言えるのか?

 

娘の定期テストの結果が予想を遥かに越えて悪かったのを知ったとき、「成績の悪い生徒」の親になりたくないと思った自分がいた。

なんだかんだ偉そうなことを言っても、結局、成績悪かったり、問題児の親になりたくないと思っている自分を見つけた。

 

コレって、無償の愛とはかけ離れた、条件付きの愛じゃないのか?

 

 

そんなもんなのか、

そんなもんじゃないのか、

一喜一憂したり、右往左往しながら

私の模索はいつまでも続く。

いつまでも。

 

 

娘と向き合うことは自分と向き合うこと。

 

 

数秘術知っていますか?

自分が持っている数字、知っていますか?

その数字のもつ意味とは?

 

数秘術からみた私はどんな人なのか?

数秘術からみた娘、息子はどんな人なのか?

それを知ってみたくて

潜在数秘術アナリスト大屋るみさんに

数秘術鑑定をお願いしました

 

私の数字

 

コアナンバー 1,1,7,3

コアナンバーをサポートするナンバー 2、5、1,2,6,4,5,8、9

 

数字の組み合わせからの全体的な印象

 

こうと決めたら一直線!

明るく親しみやすい印象を持ち、

パワフルに自分の道を切り拓く思考と行動力があります

わたしにとって、とても嬉しい言葉です

もっとパワフルに行動していく気になります

 

万人ウケするよりも少しマニアックなものや、

わかる人だけにわかるものの追求を望んでいる

→真っ先にうかんだのは・・・山形ではなく、狛犬(笑)

 

特性の一部として

前を向いてひたすら突き進む

思考と行動の矛盾がほとんどないので葛藤に苦しむことはない事務処理的なことは苦手

お母さん的な慈愛に満ちたサービス精神を持っているので

自分勝手にならず、相手に寄り添うこともできる

数字が持つ意味からの特性

ざっくり言うとこのような感じに

 

この数字とは

もって生まれた名前(私の場合、旧姓の佐藤)と生年月日からの数字

生まれたときからこの数字をもっていたなんて!

なんだか、ロマンを感じてしまいます

「好きな数字は?」と聞かれると

3とか7とか奇数が好きだったな

 

その数字を持って生まれたから、こうなっているのか

この数字の特性を活かせているのか

この数字のどの点が強くでているのか

ただの数字、されど数字

とても興味深く、初めて数字を身近に感じました

 

 

 

娘の数字、私とはホントに真逆

ほぼ偶数!

自分のことより相手のことを考えたり

人のために行動することが多い傾向

コアナンバー5つのうち4つが偶数という

徹底した他者志向の数字を持っている

まさに娘の特性です

自分のことより相手のこと

自分のことはつい、いつも我慢してしまう

 

そしてこの点

私とは真逆なので、理解に苦しむ点です

 

でも、相手に的確にアドバイスできたり

リーダーシップがある点も数字にでていました

「いつも他人を優先したおとなしい子」

という訳ではなく、娘は小学生の頃も

マーチング、クラブ、委員会の部長などに

立候補して、その座を獲得していました

 

 

息子の数字は私と似ていました

 

小さい頃はオレオレタイプが前面にでていて(←まさに!)

今は話好きや、相手を思いやる面が前面に出てきている

周りへの気配りが細やかで、優しい気持ちの持ち主

芸術的センスや豊かな感性をもっている

ほんと、この通りな息子

彼には特に夢中になれることを見つけて欲しいです

 

 

数秘術からみた子どもの特性を知ることができて

良かったです

なぜなら

やっぱり!と思ったこと

もしや、こんな感じでは?と思っていたことなどで

当たっていたことや

新たな発見があったからです

 

 

占いが好きな理由 

「占い」と呼ばれるもの

嫌いな人や毛嫌いする人もいます

占いは「当たる」とか「当たってない」ということだけじゃなく

俯瞰した視点から本人や親子関係などを

見ることができます

それってとてもオモシロイことだと

私は思います

だから今、いろんな種類の占いに興味があるのでしょう

数秘術鑑定の結果もマヤ暦の結果も共通点が多くありました

 

鑑定前のおススメ

自分は主にどんな点を知りたいのか

できれば明確にすることです

例えば、親子関係や夫婦関係の場合

それぞれの特性を踏まえたうえで

どう接することがお互いにとってよい距離感になるのか?など

要望をお伝えすることで、より満足度の高い結果が得られるハズです

 

 

数秘術鑑定興味ある方はこちらへ

rumi08-84313.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ答えがみつからないこと

最近つい考えていること

 

責任感、頑張る、継続すること

賞賛されて、美徳とされている

 

対して

無責任、諦める、飽きっぽいこと

非難され、評価されない

 

幼少の頃から

責任感が強い、我慢強い、ちゃんと続けていることを

褒められてきた

通信簿にも毎回のように書かれていた

 

わたしは責任感があって、我慢強くて、いい子だと

思っていた

 

それが

当たり前だと思っていた

 

無責任で、すぐ諦めて、飽きっぽいことは

やってはいけないこと

そんな人はダメな人だと

見下していた

 

だから

子どもに対して

唯一うるさく言ってたのは

「自分が言ったことには責任をもって」

「やっぱりや~めたは、ダメ」

(例えば、いらないと思ったシールをあげたのに、

やっぱり返して!とか)

 

子どもの学校に提出する個人カードの

家庭の教育方針欄にも

「自分が言ったことには責任を持つ」

「やるときめたなら、最後まであきらめないこと」

と、書いていた

 

頑張ることがいいこと

怠けることは悪いこと

 

本当にそうなんだろうか?

 

ただの

くだらない固定観念でしかないんじゃ・・・

という疑問

 

41年もそんなくだらない固定観念の中で生きてきた

これからは真逆になるのも

おもしろそう

 

いやなことでも頑張って

長時間労働も厭わず

有給もあまり取らずに

睡眠時間も削って仕事する、勉強する

それが賞賛される風潮

 

でも

既にこれまでとは変わってきている

 

終身雇用は当に崩壊し

優良企業でさえ今後どうなるかわからない

カイシャはすべての面倒みれないから、副業、複業が認められ

パラレルキャリアが珍しくない時代へ

 

1つのいいカイシャで永年勤続することが

表彰されたりすることは

もう、ないかも

 

こどもにも

前言撤回して

好きなことをすきなだけやろう!

と、伝えたい

 

でも、でも、でも

いろんなことをとっかえひっかえし

すぐ諦めて、投げ出して

達成感も充実感も味わえなくて

信用のない人になるかもしれない!と

思ってしまう自分も正直、いる

 

子どもを信頼していない証拠か

ホントに信頼しているなら

子どもの決断に口出ししなくてもいいだろう

子どもは子どもの人生

わたしは私の人生

それは変わらない事実

 

 

 

今まで美徳と賞賛されてきた

価値観に変わるものってなんだろう

なんだろう

なんだろう

 

答えは全然見つからない

 

これからも

考えていく

 

でも、みんなに当てはまる正解なんて

ないのかもしれない

 

わたしの答えを見つけよう

楽しみだ

 

たった1つの教育方針が崩れた日

次々とわいてくる言葉は

結局、自分を正当化したいものばかり

 

頑張ることは美徳である

苦しいことがあるからこそ成長できる

達成感、充実感のために

どんなにツラく大変でもやり遂げることが立派

飽きっぽいのはダメ

大変でも続けることに意義がある等々

 

こんな価値観で

こんなにも

がんじがらめにされている人生だったと

痛感した

 

いわゆるスポ根

いわゆる体育会系

いわゆる根性論

特に小中学生の頃は

ほとんどがこれで支配されていた学校生活

毎日この環境のなかで生きていれば

いとも簡単にたやすく洗脳される

しかも家庭でも

親もこの価値観である

 

みんなとかけ離れたことをしてはいけない

頑張ることが一番

途中で投げ出すなんて許されない

最後までやり通すことが素晴らしい

 

 

初めてインタビューをすることができた

ライターの仕事(報酬はあるかどうか未定)

断った

 

その事実により

今まで考えたこともなかったことが

浮かんでは消えたり、残ったり

 

ここ一年くらいでかなり変わった

わたし

わりとフラットで偏りがなくなってきたと

思っていた

が、全然だった

ガチガチの固定観念

こんなにも支配されていた

 

しかも

わたしのたったひとつの教育方針は

「自分できめたことには責任を持つ」

だった

 

子どもにそんなことを要求していた

 

もう言えない

 

息子がやりたいと言って始めた野球

行きたくないと言われても

「自分で決めたことだよね」と言っていた

簡単にやめることを許したら

息子が飽きっぽくだめな人間になるかもしれないと

思っていた

そもそもそれは思い込みだ

しかも

それはわたしの不安でしかない

 

野球の監督やコーチにも思っていたのは

言葉遣いがコワイ

自分もそうやって指導されてきたから

そういう指導になるのは致し方ないのだろうけど・・・

ということ

 

わたしも

おんなじだ

批判することなどできない

わたしも

自分が思い込んでいる価値観でしか

物事を見ていなかったのだ

 

わたしも

自分の不安を子どもに

押し付けていたのだ

野球すぐやめると

飽きっぽくてダメな人間になるのだろうか?

そもそも

飽きっぽくて何がダメなのか?

 

正直なところ

いま、だからどうするのがよいのかは

わからない

 

ただ

気づいたことだけでも

良かった

 

さっき

ふと

思い浮かんだのは

 

マヤ暦のメグさんからの言葉

”思っていることを行動にできないと責めるけど、責めなくていい

できない自分をOKしないとできるようにはならない”

 

これも自分の決断を正当化するために

思い出したのだろうか?わたし?

 

 

責任感より優先させたいこと

 

仕事として(報酬があるかどうか決まっていない)

初めてインタビューをした

 

結果は私の準備不足がたたり

散々なものになった

 

反省、後悔ばかり

インタビュー終了後、文字起こしをしているとき

ボイスレコーダーを聞きながら

自分の自信のなさ、不甲斐なさを痛感

ああすれば良かった、こうすれば良かったばかりが

わいてきた

 

どうにか

一人目の記事完成

それは

どうにかこうにか感が”満載”

 

提出後のご指摘の通り

話の要約にしかなっていない

ぼんやりした文章に

 

まさに

ご指摘の通り

 

今後

要望に沿ったものを、気に入られるものを

書ける気がしなくなってしまった

 

このままずるずる返事を先延ばしにしても

迷惑がかかるだけだから

 

お断りしようと思った

 

理由の一つは

忌憚のない指摘をもらったのに

悔しいと思えなかったから

 

納得させるものを

書いてやる!という気持ちがわいてこなかった

だったら「ご自分で書かれたほうが…」

という気持ちになった

卑屈になり、いじけているだけか?わたし?

カッコわる

 

最大の理由は

正直なところ

セルフマガジンのことに

集中したい

 

セルフマガジンは自費でつくる

活動紹介小冊子で

作ったからといって

お金になるわけでも

仕事になるわけでもない

 

でも

いま一番やりたいこと

 

セルフマガジンのことで

あれこれ考えて

思いを巡らせ

ひとりで落胆したり興奮したり

したい

 

自分の時間を今は

セルフマガジンのために使いたい

 

9月中に完成させるには

7月中には構成、台割は完成させたい

8月の帰省の時には足りない部分の取材をしたい

10月には山形初のかさこ塾を開催(個人的な妄想)して、再受講にいって

手渡ししたい

 

このために全精力を使いたい

 

と思っているんだと

いま、ブログを書きながら、わかった

 

だからお断りしたいと

思ったんだ

 

3月に引き受けた時には

「実績はないけれど私で良かったらやりたいです!

打たれ強いし、大丈夫です!やります」

と本気で思っていた

当時、セルフマガジンを作ろうとは思ってもいなかった

 

 

小学生の頃から責任感が強いと褒められていた

今までの私なら

一度引き受けた責任感を優先して

こんな状態でも頑張って取り組んでいただろう

頑張って成し遂げることに意味があり

嫌なことでも頑張って成し遂げるからこそ価値がある

それが美徳であり、努力に勝るものはないと

信じ、思い込んでいた

他に心魅かれることがあってもそれは後回しにした

 

だから

断ることがダメなこと

諦めることがダメなこと

逃げることがダメなこと

だと、ずっと思い込んでいた

今も

その余韻をひきずっているから

決心がゆらぐのだろう

 

もう

なんと非難されてもいい

軽蔑されても

失笑されても

ダメなひとだと烙印を押されてもいい

 

今一番やりたいことをやろう

心躍ること

ワクワクすること

朝4時に起きてでもやりたいことを

私にしかできないことを

やっていこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼児虐待の根底にもあるかもしれない2つのこと

今日もまた”なんでできないんだろ”

と思ってしまった。

娘に対して

 

自分ができていたことは

自分の子どもだからできるハズ

 

という呪縛のような思い

未だにでてくる

 

小学生の頃から

なぜか学校のテストはできていた、わたし

 

いつも成績は良かった

 

両親から

宿題しなさいも

勉強しなさいも

一度も言われたことがない

 

両親に勉強を聞いたこともない

聞いても無駄だと思っていたから

 

そんな生意気でかわいくない18歳までの私

 

 

 

娘が小学生になってから

「宿題やったの?」

と言うわたし

 

なぜ、言われないと

やらないのか・・・

 

わたしは一回も言われたこと

なかったのに

 

わたしには普通にできていたことが

なんでできないんだろう

 

漢字の宿題がなぜそんなに苦痛なのか?

ただの漢字じゃん

何回も書けば誰でも覚えられるよ

抜き打ち漢字テストが35点?

ありえない

だって抜き打ちとはいえ復習でしょ?

と、思ったり

 

わたしができていたことは

わたしの子どもなんだから

できるハズ

 

そんなことない

わたしの所有物ではないし

わたしの子どもという前に

彼女は彼女である

と、アタマでは理解しているつもり

 

 

 

結局

①自分のこどもだからできるハズという思い込み

②子どもが自分の思い通りにならないとき

 

子ども対して

怒ったり、迷ったり、悩んだりするときは

突き詰めて考えると

いつも

この2点が奥底に見つかる

 

今日も

「英語教えて~」

と言われてワークを一緒にやった

私が教えるのが面倒だと思っていることを察した娘は

途中から怒り出した

 

ご指摘の通り

私はブログ書こうと思っていたのに・・・

教科書ワークなんか何にも難しくないだろ

ヒントはその辺に散らばってるし

今日の課題は否定文なんだから

だいたい全部単語入れ替えて否定文だけだし・・・と

思っていた

 

お互い謝って

 

仲直りした私たち

 

ほんと娘は優しくて素直だ

 

わたしの子どもだとは思えないくらい

 

という日常は幸せ