YUKOのブログ

日々思っていること、つれづれ

たった1つの教育方針が崩れた日

次々とわいてくる言葉は

結局、自分を正当化したいものばかり

 

頑張ることは美徳である

苦しいことがあるからこそ成長できる

達成感、充実感のために

どんなにツラく大変でもやり遂げることが立派

飽きっぽいのはダメ

大変でも続けることに意義がある等々

 

こんな価値観で

こんなにも

がんじがらめにされている人生だったと

痛感した

 

いわゆるスポ根

いわゆる体育会系

いわゆる根性論

特に小中学生の頃は

ほとんどがこれで支配されていた学校生活

毎日この環境のなかで生きていれば

いとも簡単にたやすく洗脳される

しかも家庭でも

親もこの価値観である

 

みんなとかけ離れたことをしてはいけない

頑張ることが一番

途中で投げ出すなんて許されない

最後までやり通すことが素晴らしい

 

 

初めてインタビューをすることができた

ライターの仕事(報酬はあるかどうか未定)

断った

 

その事実により

今まで考えたこともなかったことが

浮かんでは消えたり、残ったり

 

ここ一年くらいでかなり変わった

わたし

わりとフラットで偏りがなくなってきたと

思っていた

が、全然だった

ガチガチの固定観念

こんなにも支配されていた

 

しかも

わたしのたったひとつの教育方針は

「自分できめたことには責任を持つ」

だった

 

子どもにそんなことを要求していた

 

もう言えない

 

息子がやりたいと言って始めた野球

行きたくないと言われても

「自分で決めたことだよね」と言っていた

簡単にやめることを許したら

息子が飽きっぽくだめな人間になるかもしれないと

思っていた

そもそもそれは思い込みだ

しかも

それはわたしの不安でしかない

 

野球の監督やコーチにも思っていたのは

言葉遣いがコワイ

自分もそうやって指導されてきたから

そういう指導になるのは致し方ないのだろうけど・・・

ということ

 

わたしも

おんなじだ

批判することなどできない

わたしも

自分が思い込んでいる価値観でしか

物事を見ていなかったのだ

 

わたしも

自分の不安を子どもに

押し付けていたのだ

野球すぐやめると

飽きっぽくてダメな人間になるのだろうか?

そもそも

飽きっぽくて何がダメなのか?

 

正直なところ

いま、だからどうするのがよいのかは

わからない

 

ただ

気づいたことだけでも

良かった

 

さっき

ふと

思い浮かんだのは

 

マヤ暦のメグさんからの言葉

”思っていることを行動にできないと責めるけど、責めなくていい

できない自分をOKしないとできるようにはならない”

 

これも自分の決断を正当化するために

思い出したのだろうか?わたし?